2014年5月13日火曜日

1994年、アメリカではポップパンクが流行


80年代前半、パンク・シーンは一気にハードコア化していったが、1986年にブラッグ・フラッグが解散し、翌年にはデッド・ケネディーズが解散してしまう。

パンク・シーンは全体的に行き詰まり感が出ていた1988年に彗星のごとく登場したのがバッド・レリジョンの3rdアルバム『Suffer』だった。メロディック・ハードコアと呼ばれる高速の2ビートに起伏あるメロディを乗せた激しいリフの楽曲は当時新鮮でとっつきやすかった。チャートにこそランクインしなかったものの、のちのパンク・シーンに与えた影響は大きかった。NOFXのヴォーカル、ファット・マイクは「このアルバムが全てを変えた」と語っている。

また、バッド・レリジョンのヴォーカル、ブレッグ・グラフィンは生物学の博士号を修得するほどのインテリで、何よりも暴力を嫌い、短絡的な"ノー・フューチャー"思想を完全否定している。彼が当時から今日まで"パンクはニヒリズムにあらず。本来ポジティヴなものだ"と主張し続けているのは知られた話である。ロック本来の激しさやスピード感は好きだが、ハードコアの暴力性には距離を感じるし、当時主流だったLAメタルの装飾性にも共感できない若者たちに受けたのがバッド・レリジョンだった。パンクは非暴力的な方向に向かい、一般層にも受け入れられやすい音楽となっていく。

バッド・レリジョンの昔からの仲間であるNOFXは自らファット・レック・レコードを設立して若手をサポートし、1989年には自己流のメロディック・スタイルを確立。徹底したインディ主義と明確なメッセージ、そしておバカのふりをしたセンスの良さは世界中で支持を集める。

また、カリフォルニア州南部のオレンジカウンティではオフスプリングが奮闘。ヴォーカルのデクスター・ホーランドがバッド・レリジョンのレーベル、エピタフに何度もデモ・テープを送り契約を獲得。彼らもバッド・レリジョンに影響を受けたバンドだった。80年代後半にはパンクというだけで出入り禁止を命じるクラブもまだまだ多く、オフスプリングは出演できるステージを求めて車で8時間かかるサンフランシスコのベイエリアまで頻繁に出かけていた。そこのライブハウスを拠点としていたのが、ランシドとグリーン・デイだった。この2バンドもご多分にもれずバッド・レリジョンの影響を受けた若手であった。グリーン・デイはメロコアに固執せず4ビートを取り入れるなどポップ・パンクというジャンルの代表的バンドへとなっていく。

1994年、ポップ・パンクとメロディック・ハードコアが世界的にブレイクする。グリーン・デイが2月にメジャーデビュー・アルバム『Dookie(ドゥーキー)』をリリース。全米チャート2位、全世界で1000万枚以上を売り上げるヒットに。同じくポップ・パンク系のオフスプリングも4月にリリースした2ndアルバム『Smash』が全米チャート4位、全世界で1000万枚を売り上げるヒットを叩き出す。バッド・レリジョンもこの年の9月にリリースした8thアルバム『Stranger Than Fiction』が全米チャート87位とグリーン・デイとオフスプリングには劣るものの初めて商業的な成功を収める。

Green Day(グリーン・デイ)





The Offspring(オフスプリング)





Bad Religion(バッド・レリジョン)




0 件のコメント:

コメントを投稿