2015年3月11日水曜日

ポップ界の新女王ケイティ・ペリーのキャリアまとめ【~2015年】


2015年4月に4年ぶりの来日単独公演を行うケイティ・ペリー。
2010年代を代表するポップ界の新女王は、4thアルバム『プリズム』で2作連続チャート1位を獲得し、現在プリズマティック・ワールド・ツアーを興業中。アリーナクラスのチケットが軒並み完売している。

2月には全米で1億人以上が視聴するNFLスーパーボウルのハーフタイムショーへの出演を果たした彼女のこれまでの音楽キャリアは決して楽なものではなかった。

カリフォルニアの敬虔なクリスチャンの家庭で生まれ、15歳で高校を卒業した後、ナッシュビルに移りアルバムをリリースするも不発。大手レーベルと契約するも2度も契約解除。2ndアルバムでの成功、3rdアルバムで初めての全米1位を獲得し、結婚するも14ヶ月で離婚。悲しみを乗り越え4thアルバム、スーパーボウル出演とポップ界の頂点を極める。

そんなケイティ・ペリーのキャリアを振り返りました。

敬虔なクリスチャンの家庭で生まれる


1984年10月、ケイティ・ペリーことキャサリン・エリザベス・ハドソン(Katheryn Elizabeth Hudson)はカリフォルニア州サンタバーバラで牧師の父と映画監督の母の間に生まれる。3歳から11歳まで両親の仕事で引っ越しを繰り返し、サンタバーバラに戻る。各地のクリスチャン系の学校に通っていたが、フードスタンプを利用するほど経済的には苦しかった。

幼少期のケイティはゴスペルを聴いて育つ。家庭内ではポップミュージックのような非宗教的な音楽は聴くことはできなかったものの、友達からCDを借りてこっそり聴いていたという。9歳で歌のレッスンを受け始め、教会で歌っていた。13歳の誕生日にギターを買ってもらうと曲作りを開始する。

15歳で1stアルバムをリリースするも売上は200枚


高校1年で高校卒業認定試験(GED)を取得して15歳で卒業。音楽キャリアを歩むためにサンタバーバラの音楽学校に進学。イタリア・オペラを学ぶ。

そこでナッシュビルで活動するクリスチャンロック系ミュージシャンのスティーヴ・トーマス、ジェニファー・ナップに才能を見いだされ、カントリーミュージックの聖地、クリスチャン・ミュージックの本拠地でもあるアメリカ中部ナッシュビルに活動の拠点を移す。早速、作曲とギターの指導を受け、デモのレコーディングを始める。

クリスチャンロック系インディレーベルのレッド・ヒル・レコードと契約し、2001年6月にゴスペルの1stアルバム『Katy Hudson(ケイティ・ハドソン)』をリリース。しかし、セールスは不調で200枚しか売れなかった。この年の12月にレーベルは倒産してしまう。


2度の契約解除


所属レーベルを失ったケイティは、敬愛するアラニス・モリセットなどを手がけたプロデューサーのグレン・バラードと楽曲製作を始め、ゴスペルから離れポップミュージックへと音楽性を変える。17歳のときにロサンゼルスに拠点を移し、アーティスト名をケイティ・ハドソンからケイティ・ペリーに改めた。

母親の旧姓を借りてケイティ・ペリーとしての新しい音楽キャリアを再スタートさせると、メジャーレーベル、ユニバーサル系のアイランド・デフジャム・ミュージック・グループと契約。The Matrixのプロデュースでアルバムの製作に取りかかるが、完成を前に契約解除。グレン・バラードとのソロアルバムの製作も頓挫してしまう。

次にソニーミュージック系のコロンビアと契約するが、ここでもすぐに契約解除されてしまう。


20歳の小さな成功 映画のサントラ起用


2005年、バラードと制作した「Simple」が映画『旅するジーンズと16歳の夏(The Sisterhood of the Traveling Pants)』のサウンドトラックに起用される。

Simple


3度目のメジャー契約 ドクター・ルークとの出会い


コロンビアレコードを契約解除されたケイティでしたが、広報責任者のアンジェリカ・コブ・ビューラーの紹介でヴァージン・レコードのジャイソン・フロムと知り合う。2007年4月、ケイティがブレイクすると確信したフロムは同じユニバーサル系のキャピトル・レコードと契約させる。

同年11月、メジャーレーベルでのシングル第1弾「ユーアー・ソー・ゲイ(Ur So Gay)」を発表。過激な歌詞はインディ時代のケイティの保守的なイメージを大きく変えた。

レーベルの勧めで人気プロデューサーのドクター・ルークと楽曲製作に取りかかったケイティは、2008年4月にシングル第2弾「キス・ア・ガール(I Kissed a Girl)」をリリース。ニュー・ウェイヴ調のバブルガム・ポップのこの曲は初週76位だったが、前シングルに続きレズビアンを連想させる過激な内容の歌詞は女子高校生を魅了。全米の保護者が激怒すると、テレビでも取り上げられるほど話題となり、曲はチャートを上昇。7月1週には初めての1位を獲得する。
女のコにキスしちゃった そしたら気持ち良かった…アタシたち女のコって、すごく魅惑的だよね キスしたくてたまらなくなる 触れたくてたまらなくなる…  -キス・ア・ガール歌詞抜粋-
ヒットの要因は楽曲だけでなくファッションにもあった。彼女が当時流行っていたわけでもない1940代のファッションを着て、過激な内容の歌を歌う姿は鮮烈なビジュアルイメージを残した。

2008年6月にリリースしたメジャー移籍第1弾の2ndアルバム『ワン・オブ・ザ・ボーイズ(One of the Boys)』は全米チャート9位となる。このアルバムからは「キス・ア・ガール」、「ホットアンドコールド(Hot n Cold)」、「ウェイキング・アップ・イン・ベガス(Waking Up in Vegas)」がトップ10入りした。

I Kissed A Girl


3rdアルバム『ティーンエイジ・ドリーム』で初の全米1位


2009年後半、ハロー・ケイティ・ツアーを終えたケイティは、再びドクター・ルーク、マックス・マーティンといったAクラスのプロデューサーとタッグを組み3rdアルバムの製作に取りかかる。

2010年5月、シングル「カリフォルニア・ガール(California Gurls)」をリリース。全米チャート初登場1位となり、3rdアルバムのヒットを予感させるセールスとなりました。この曲は前年にジェイ・Zとアリシア・キーズが地元ニューヨークをテーマに歌った「エンパイア・ステイト・オブ・マインド(Empire State of Mind)」に対するアンサーソングとなっています。

同年8月、待望の3rdアルバム『ティーンエイジ・ドリーム(Teenage Dream)』をリリース。ケイティ初の全米チャート初登場1位を獲得した。このアルバムからシングルカットされた「カリフォルニア・ガール」、「ティーンエイジ・ドリーム(Teenage Dream)」、「ファイアーワーク(Firework)」、「E.T.」、「ラスト・フライデー・ナイト(Last Friday Night (T.G.I.F.))」の5曲がチャート1位となり、1枚のアルバムから5曲のチャート1位を送り出したのは、マイケル・ジャクソンの『バッド(1987年)』以来2人目のアーティストとなりました。

California Gurls ft. Snoop Dogg


Firework


Teenage Dream


短い結婚生活、離婚


2010年10月イギリス人コメディアン、ラッセル・ブランドと結婚。しかし、ティーンエイジ・ドリームのワールドツアーで過密スケジュールとなっていたケイティは、子供がほしかった夫のブランドとすれ違いから衝突。最後はブランドがメールで別れを告げ、14ヶ月の結婚生活は終わってしまう。

2012年3月、『ティーンエイジ・ドリーム』の完全版をリリース。新曲「Part of Me」や「Wide Awake」など3曲を加えている。「Part of Me」は元夫へのメッセージと話題を呼びましたが、実際は2010年初めに書かれた曲です。

離婚から1年半後、自殺も考えたというほど傷心していたケイティは4thアルバム『プリズム』のリードトラック「ロアー(Roar)」で力強くカムバックする。

Part Of Me


Wide Awake



4thアルバム『プリズム』前作を更に上回るセールス


2013年10月に3rdアルバム『プリズム(Prism)』をリリース。前作に続き全米チャート1位、初週26.6万枚を売り上げ、前作を抜き自己最高のオープニングとなった。わずか2ヶ月半ながらこの年アメリカで2番目に売れたアルバムともなっている(1位はジャスティン・ティンバーレイク『20/20エクスペリエンス』)。
『ティーンエイジ・ドリーム』は、私が作り上げた“キャンディ”のようなキャラクターを元にしたコンセプチュアルな作品で、誇張され、少し大袈裟な所があった。最新作は、自分の弱い部分だったり、もっと人間味が感じられる作品に仕上がっているわ。でも踊ったり、一緒に歌ったり、クラブで流れるような楽しい曲も入ってる。大人になったからと言って、シリアスな感じではなくて、『ティーンエイジ・ドリーム』と同じぐらい楽しい作品よ。やっと自分らしくなれた、と言う感じね。
ケイティ・ペリー 『プリズム』来日インタビュー│Special│Billboard JAPAN
http://www.billboard-japan.com/special/detail/748

Roar


Dark Horse ft. Juicy J


スーパーボウル、プリズマティック・ワールド・ツアーへ


2015年2月、全米が注目するNFLアメリカンフットボールの第49回スーパーボウルのハーフタイムショーに出演。1億1850万人が視聴したケイティのパフォーマンスは過去最高の視聴者数を記録した。

2014年5月から1年間のプリズマティック・ワールド・ツアーを開始。イギリスから始まり、北米、オセアニア、ヨーロッパと世界各地まわり、アジアで最後となる。2015年4月、日本でも東京2公演が決定。2011年5月に東名阪で行った「カリフォルニア・ドリームズ・ツアー」以来、4年ぶりとなる単独公演となる。

NFLスーパーボウル


The Prismatic World Tour




0 件のコメント:

コメントを投稿