2015年5月31日日曜日

サマソニ2015日曜トリのファレル・ウィリアムスとは?【中編】


ファレル・ウィリアムスがソロ活動を始めるまでの、2001年~2007年を振り返る。

ネプチューンズとしてプロデュース業で成功を収めたファレルは、旧友のシェルドン・ヘイリーを加え、ロック・グループN*E*R*Dを結成。あらゆるジャンルを取り入れたミクスチャーサウンドを打ち出す。

ネプチューンズとしては、2003年にコンピレーション・アルバムをリリース。全米1位を獲得する。

そして2006年、ソロアルバムを出したいという欲求を抑えられなくなったファレルは、1stアルバム『イン・マイ・マインド』を発表するが、それはトラウマとなってしまう。

さらなる探究心(2001年~2004年)


プロデューサーとして成功を収めた彼らは旧友のシェルドン・ヘイリーとロック・グループ、N*E*R*D(エヌ・イー・アール・ディー)を始動。

2001年、イギリス先行リリースとなった1stアルバム『イン・サーチ・オブ...』。


原型となるバンドは高校時代からファレルとチャドで活動していた。ネプチューンズとして多くのヒットを出して、ネプチューンズの知名度が上がって、本格的にグループとしての活動が行いやすくなった。レコード会社に対して自分たちの意見が通りやすくなったことで、N*E*R*Dの活動に移行することが出来た。

N*E*R*Dの『イン・サーチ・オブ...』は、ファンクロック的な音楽性を打ち出していた。ファンクをベースに、ロックなど多くのエッセンスを取り入れて、雑食的なサウンドは、プリンスをヒップホップ的なアプローチでアップロードしたような音楽性だった。


グループ名は「No one Ever Really Dies(真の意味で死ぬ者はいない)」の略。N*E*R*Dは決してサイドプロジェクトではない真の音楽探究心から結成されたものだった。
N*E*R*Dっていうのは1つの考え方かな。人の真のエネルギーは魂にあって、たとえ死んじゃったとしても、エネルギーは生き残る。拡散するかもしれないけど、無くなることはない。
ロックンロールやファンクなどあらゆるジャンルの要素を取り込んだミクスチャーサウンド。そこに限界やルールは皆無であった。


時同じくしてファレル・ウィリアムスは自らのレーベル「スター・トラック」を設立。
自分たちが発掘したアーティストを育成して、自分たちのやりたい音楽を世界に広めたい。
第1弾アーティストとして兄弟ラップデュオのクリプスを見出し、世に送り出した。ネプチューンが手掛けるジャスティン・ティンバーレイク初のソロアルバム『ジャスティファイ』収録の「ライク・アイ・ラヴ・ユー」に参加し、注目を集める。


そして2003年、レーベルとしてのコンピレーション盤『クローンズ』を発表する。そこにはファレル初のソロ作「フローティン(Frotin')」が収録された。ファレルは言う、
このアルバムをリリースする目的は、俺達のサウンドを聞きたがっている人達に、何十種類ものアルバムを買ってほしくなかったからなんだ。この1枚を聴けばいいんだからね。


人気絶頂のネプチューンズが手掛けた本作は、全米1位を獲得。この年のメインストリームを代表する1枚となった。2004年、第46回グラミー賞では、ネプチューンズにとって栄誉となる最優秀プロデューサー賞に輝く。さらに、ジャスティン・ティンバーレイク『ジャスティファイ』が最優秀ポップヴォーカルアルバム賞を受賞する。

まさに時代の寵児となったファレルは同年、 N*E*R*Dとして2枚目のアルバム『フライ・オア・ダイ』を発表する。本作は、ソウル、フォーク、パワーポップの要素が加わり、さらに音楽性の幅が広がった。



音楽以外でも、ファレルは様々なビジネスを手掛けている。ストリートファッションをリードする「ア・ベイシング・エイプ」のプロデューサー、ニゴーとの共同ブランド「ビリオネア・ボーイズ・クラブ」や「アイスクリーム」を立ち上げ、ファッションアイコンとしてもカルト的人気を誇る。

この年、日本を代表する大型音楽フェス、サマーソニックに出演。話題のグループを一目みたいと多くのファンが殺到した。

その後も、ネプチューンズのプロデュース業は留まることを知らない。ノーダウトのヴォーカルであるグウェン・ステファニーのソロシングル「ホラバック・ガール」。ネプチューンズ・サウンドの真骨頂とも言えるビートを主体にしたグルーヴ。この曲は全米4週連続1位。デジタル配信が史上初の100万ダウンロードを達成した。


「ホラバック・ガール」ヒットの要因は、グウェン・ステファニーが当時、初めてのソロ活動ということで注目度が高かったというのもあるが、ネプチューンズのビートのインパクトがあった。チアリーディングのようなストンプ風のダイナミックなビートがキャッチーだった。

また若者に多大なる影響力を持つ重鎮ラッパー、スヌープ・ドッグも手掛けた。ファレルも参加した「ドロップ・イット・ライク・イッツ・ホット」は、またも大ヒット。3週連続全米1位を記録する。


2004年はネプチューン・サウンドが、よりシーンに強い印象を残したと同時に、彼らにとって飛躍の年となった。


ソロという名のトラウマ(2005年~2007年)


ファレル・ウィリアムスは新たな挑戦に出る。プロデュース業と平行してのソロ活動である。


2006年7月、ついに全貌が明かされる。当初の発売日より8ヶ月が経過しての発表となったファレル初ソロアルバム『イン・マイ・マインド』。2004年頃からソロ活動の構想は抱いていたが、立ち上げたばかりのスタートラックの活動を優先していた。それでも楽曲製作していく過程で、ソロアルバムに使う材料が出来上がっていき、結果として自分の欲求を抑えきれずに、ソロアルバムの制作に踏み切った。
これまでやってきた仕事はどれも楽しかったし、自分を表現したかったからこそやってきたことなんだけど、ソロアルバムを作りたいという自分の気持ちを押しとどめることができなかったんだ。
一時、リリース時代を危ぶむ声もあった本作は、ファレルの二面性を表したものになった。 一つはグウェン・ステファニーを迎えた「キャン・アイ・ハヴ・イット・ライク・ザット」に代表されるヒップホップ面。ファレルの内面をさらけ出した人生についての曲となった。

(歌詞)昔は灰色に立ちこめる時期が続いたけど、俺のヴァースが売れてNSXを手に入れた。それでもボロ車に乗り続けた。でも今はリアの窓越しの視界は晴れて、携帯でくっちゃべるんだ。お前らも聞くべきだな。よく聞けよ。ハロー、聞こえるか?俺の好きにしてもいいかい?(お手のものでしょ)×4

もう一つはR&B。そこにはファレルの柔弱な愛について映し出されたトラックが収録。

(歌詞)俺って男はお前の気分を害すんだろうな。 癇癪起こされちゃったりして。君と話がしたいんだよ。ああ、ガール、カモン。こんな暮らしを続けるには、神は知っているよ、誰かから与えられたものじゃないって、色々とやらなきゃいけない。ああ、ガール、カモン。楽しいことばかりでもないんだ。いつも俺が忙しいのは知ってるだろ。長電話できないのもそのせいさ。ああ、ガール、カモン。俺の言うこと、理解してくれ。家に戻ったらその可愛い顔を微笑ませるよ。メイク・ラヴすりゃ最高の気分さ。だって君は俺の…ナンバー・ワン。スマッシュ・ヒット。チャートをぶち抜いて、殿堂入り。これが終わったらすぐに君の元へ駆けつけるから。君のハートを射止めるのさ。


ファレル初のソロアルバムは彼の二つの顔を描いた極めてパーソナルな作品となった。しかし、それらがファレルを苦しめることに…
あまり楽しめなかったし、ライヴでやるのが恥ずかしい曲もあったよ。自分のこと過ぎてね。変な感じがしたんだ。
次第にファレルはアルバム『イン・マイ・マインド』に対して、トラウマを抱えることになる。
アルバム収録曲を聴いていて、いまだにこれは誰なんだろうと考えてるようなところがある。
ソロ活動に対して、気持ちの整理が付いていないファレルは、こうしてその後ソロ活動から決別し、再びプロデューサー業に入る。

このアルバムが商業的には売れなかったため、これ以降のファレルのソロ活動のモチベーションを低下させてしまったところがある。そのため、2014年にリリースされた2枚目のソロアルバムまで、結果的に8年時間が空いてしまった。


サマソニ2015日曜トリのファレル・ウィリアムスとは?【前編】
http://kkssskk.blogspot.jp/2015/05/2015_26.html

サマソニ2015日曜トリのファレル・ウィリアムスとは?【中編】
http://kkssskk.blogspot.jp/2015/05/2015_31.html

サマソニ2015日曜トリのファレル・ウィリアムスとは?【後編】
http://kkssskk.blogspot.jp/2015/06/2015.html


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