2015年6月22日月曜日

サマソニ2015土曜トリのケミカル・ブラザーズとは?【前編】


現在のダンスミュージックシーンは、この2人の男の偉業なくして存在しない。

いち早くロックヴォーカリストをフィーチャーし、ロックとダンスミュージックを融合させた新たなジャンル、ビッグビートの仕掛人と称される。

トップクリエーターとして90年代以降のシーンの頂点に君臨。それがケミカル・ブラザーズだ。

2015年、5年ぶりの新作アルバムを発表。そして、大型音楽フェス「サマーソニック2015」のヘッドライナーに抜擢され、いま再び注目を集める。

常に誰も聴いたことがない音を模索し、ダンスミュージックシーンに多大な影響を与えたケミカル・ブラザーズに迫る。


ケミカル・ブラザーズ誕生(1989年~1995年)


エド・サイモンズ(左、Ed Simons)、トム・ローランズ(右、Tom Rowlnads)による2人組ユニット、ケミカル・ブラザーズ。

1989年、イギリスの名門マンチェスター大学。ともに歴史を専攻していた2人は運命の出会いを果たす。

エド・サイモンズは、当時よくヒップホップを聴いており、ロックで言えばニューオーダーやザ・スミスのような80年代に活躍したバンドが好きで、後にニューオーダーのバーナード・サムナーと「アウト・オブ・コントロール」という曲でケミカル・ブラザーズとしてコラボレーションしている。

ニューオーダー
マンチェスターが誇るポストパンクの重鎮、ニューウェーヴというジャンルを世に広めた。


ザ・スミス
マンチェスターが生んだポストパンクの担い手、強烈な歌詞と美しい旋律でリスナーの胸に突き刺した。


トム・ローランズは、ミュージカルやサントラのCDから影響を受けており、そこからスカやツートーンといった音楽を聴き始めて、音楽の幅が広がり、ダンスミュージックに魅了されていく。

当時イギリスの若者たちの間で注目を集め始めたのが、アンダーグラウンドシーンから発生した新たなレイヴカルチャー、マッドチェスター・ムーヴメント。そんななか、意気投合したエドとトムは、勉学の傍ら、その中心地となったナイトクラブ、ハシエンダに通いつめ、アシッドハウスの世界にのめり込んでいった。

トム:僕らが学生だった頃は、ハシエンダに行く人は少なかった。学生はみんな大学のパブやなんかで飲んで満足してた。クラブに行く人は少数派だ。マンチェスターのハシエンダは当時世界一のクラブなのに、僕らはそう考えて通ってたけど、意外に客が少ないのを不思議に思ってた。そうやって仲良くなった。金曜の6時半、ハシエンダの表で列を作ってたんだ。クラブの中でお茶を飲んだりした。

1992年、2人はDJ活動を開始。そんななか、ダスト・ブラザーズ名義で自主制作によるプロモ盤「ソング・トゥ・ザ・サイレン」を発表。しかし、その前途は、必ずしも揚々たるものではなかった。


出来上がったアナログ・レコードをリアカーで引っ張ってレコード屋に売っていた。レコードに連絡先として彼らの母親の電話番号を載っけていたところ、後にプライマル・スクリームのプロデューサーとなるアンドリュー・ウェザオールと、アンダーワールド3人体制のときのメンバーのダレン・エマーソンが電話を掛けてきて、母親が対応していたという微笑ましいエピソードがある。
アンドリュー・ウェザオール
アンダーワールドを輩出した「ジュニア・ボーイズ・オウン」主宰。UKクラブシーンの重鎮的存在。
ダレン・エマーソン
アンダーワールドの音楽的な礎を築き、世界のトップグループへ導いた。脱退後は世界のトップDJの1人として活躍。
2人は当時のことをこう振り返る。
「一番苦しくて楽しかった時期だ。」
このときの経験は、その後の活動の礎となった。

1993年、彼らの才能に注目したアンダーワールド所属のインディーズレーベル「ジュニア・ボーイズ・オウン」と契約。大学を卒業後、当時人気を博していたプライマル・スクリームやシャーラタンズなど多くのロックバンドのリミックスを手掛け、そのサウンドの基礎を築いていった。

その後に、ヘヴンズ・ソーシャルというクラブでレジデントDJとして定期的にDJパーティーを開催しており、そのパーティーに当時人気が出そうなロックバンドが集まっていた。オアシスのノエル・ギャラガーや1stアルバムでコラボするシャーラタンズのティム・バージェスの他、ポールウェラー、ノーマンクック(ファトボーイ・スリム)、プライマル・スクリーム、ベス・オートンなど最先端の音楽が好きなアーティストが常連として出入りしており、そこで様々な人脈を築き上げていた。

そんななか、1995年、本家ダスト・ブラザーズからのクレームにより、ユニット名を改名。「ケミカル・ブラザーズ」の誕生である。


ロックとダンスの横断(1995年~1996年)


1995年、ダスト・ブラザーズとの決別を意味すると言われた1stアルバム『イグジット・プラネット・ダスト(さらばダスト惑星)』をついにリリース。

「テクノにはない、ツェッペリンみたいなダイナミックさをマシンで作り出したい。」

本作はロックとダンスミュージック双方の可能性を飛躍的に広げることになった。

トムは楽器や機材面でリードする存在。エドは様々なジャンルに精通し、それらをサンプリングし、サウンドに反映。こうした2人の化学反応によって完成した1stアルバム。ケミカル・ブラザーズは、単なるテクノともロックでもない、攻撃的なブレイクビーツを表現。これらは「ケミカル・ビート」と呼ばれ話題となった。結果、デビューアルバムにして全英9位を獲得した。

ロック、アシッドハウス、テクノ、ヒップホップという要素が混じったアルバムは衝撃的だった。彼らの歴史の中でも特に、ヒップホップとアシッドハウスの要素が強いアルバムとなっている。当時、ブリットポップ・ムーヴメントがあり、メロディアスな曲が流行っていた中で、彼らが生み出す攻撃的なサウンドは好意的に受け止められた。


2人が敬愛するロックバンド、シャーラタンズのティム・バージェスと共作した「ライフ・イズ・スイート」。ケミカル・ブラザーズは、ダンスシーンの中で当時画期的であったフィーチャリングアーティストの起用をいち早く提示した。

ティム・バージェス:あの曲の完成品を最初に聴いた時はとても興奮した。とても斬新だったんだ。あのサウンドは、まさに3人が何かを求めて、一生懸命生み出したものに他ならない。最初から一緒になって仕事が出来て良かった。

そして、衝撃の1曲が誕生する。 当時、人気絶頂だったオアシスのノエル・ギャラガーをゲストヴォーカルに迎えた「セッティング・サン」。


ノエル・ギャラガー:グラストンベリーで会ったんだ。けど記憶違いで2人は違うことを言うかも。
エド・サイモンズ: ノエルが来て「アルバムが気に入った。ティムの次は俺と一緒にやろうよ」って。
ノエル・ギャラガー:「俺は凄い才能があるんだから」って言うと2人は承諾した。 
エド・サイモンズ:「ノエルと一緒んて!」って、後で笑って話してた。だけど、曲を作っている時、「これはノエルに向いてるな」と思ったんだ。それに「彼は本気だよ」と誰かが言ってたんで、「じゃあ、やろう」ってテープを送った。
ノエル・ギャラガー:テープを受け取って、ステレオで大音量でかけたんだ。ノイズばっかり、6分も続いて、悪戯をしてこんなの送ってきたんだと思った。

 ロックとダンスミュージックの融合の口火を切り、シーンに一石を投じた。

エド・サイモンズ:友人以外との共作は初めてだったけど、ノエルとは上手くいった。「セッティング・サン」は歌詞が凄くいい。ノエルはメロディーを作るのに苦労した。彼が言うように、最初は訳の分からない音の混沌で、それを解読して上手く仕上げた。
ノエル・ギャラガー:今までの仕事でベストの部類に入るよ。ホント。曲が完成してコピーもらって、いざ友達に聞かせる時には、すごく自慢だったね。俺抜きでビデオを作ったのは絶対許せないな。

ケミカル・ブラザーズは、新しいダンスミュージックを構築。結果、全英シングルチャート初登場1位を記録。

奇しくも、このころを境にブリットポップ・ブームが終息の兆しを見せ、ダンスミュージックが台頭していった。そんな中、シーンの中心的存在であった、ケミカル・ブラザーズは一つの潮流を作り上げることとなる。

新たなジャンルとして産声を上げる「ビッグ・ビート」である。

ちょうど同時期に、90年代の英国若者文化を描いた「トレインスポッティング」という映画があり、そのサントラとなったアンダーワールドの「ボーン・スリーピー」がヒットした。また同時期に、プロディジーが『ミュージック・フォー・ザ・ジルテッド・ジェネレーション』(1995年)が、全英初登場1位を獲得。ダンスミュージックが、ブリットポップの先に待っているぞという雰囲気が出来上がっていった。


サマソニ2015土曜トリのケミカル・ブラザーズとは?【前編】
サマソニ2015土曜トリのケミカル・ブラザーズとは?【中編】
サマソニ2015土曜トリのケミカル・ブラザーズとは?【後編】


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