2016年2月18日木曜日

ジェニファー・ロペス、ラテンの女王【前編】


その美貌の裏にはいくつもの才能が宿っている。

女優としてスクリーンで輝きを放ち、シンガーとしてオーディエンスを熱狂させる。

2012年にはアメリカ経済誌『フォーブス』で世界セレブ番付1位に君臨。2013年には2500人目のハリウッドの殿堂入りを果たす。そして2014年、歌手デビュー15年目を迎えた彼女のCDトータルセールスは5500万枚を突破。

ジェイ・ロー(J.Lo)の愛称で親しまれ、人々の心を捉えて放さない、ラテンの女王、ジェニファー・ロペス。


夢の始まり(~1998年)


1969年7月24日、ニューヨーク市ブロンクスで生を授かったジェニファー・ロペス。プエルトリコ系アメリカ人の両親の間に生まれた彼女は、幼少の頃からハリウッドを夢見ていた。

3人姉妹の次女として生まれ、親の勧めもあって、幼い頃からダンスや歌のレッスンを受けて、自宅で3人姉妹でいろいろパフォーマンスをして、自分を表現することにはまっていく。


彼女が最初に頭角を現したのは、ダンサーとしての仕事で、1991年に「イン・リヴィング・カラー」というコメディバラエティ番組にレギュラー出演するようになる。その番組では、フライガールズというダンサー達が大勢出演するが、その一人としてオーディションに受かり選ばれた。そこでジェニファーは人気を集めるようになる。

ダンサーとしてキャリアを積んだジェニファー・ロペス。そんな彼女が続いて輝きを放ったのは女優としての活動であった。1995年、ジェニファー・ロペスは、映画『ミ・ファミリア』で本格的なスクリーンデビューを果たす。すると彼女は脇役にもかかわらず、インディペンデント系の映画を対象とした、インディペンデント・スピリット賞で助演女優賞にノミネートされる。


さらに2年後の1997年、ジェニファー・ロペスは、実在した女性シンガーの伝記映画『セレナ』で主役を務めることになる。本作で、ジェニファー・ロペスは、ゴールデン・グローブ賞主演女優賞にノミネート。これによって、女優としての彼女の名は広く世間に知られることになる。

そして翌年の1998年、オーシャンズ・シリーズなどで知られる、スティーブン・ソダーバーグ監督の映画『アウト・オブ・サイト』で、またしても主演に抜擢。この映画のヒットにより、ジェニファー・ロペスはトップスターの階段を駆け上がっていく。

スクリーンの中で飛躍的な活躍を見せるジェニファー・ロペス。そんな彼女の才能は一つのフィールドに収まるものではなかった。


シンガーとして(1999年~2000年)


女優として才能を開花させたジェニファー・ロペス。彼女の夢のレールには続きがあった。それこそが、シンガーとしての成功であった。

「歌と踊りはいつでも私が一番好きだったこと。みんな、なんでシンガーになろうと思ったの?っ手聞くけど、私に言わせれば"どうしてダメなの?"って感じだったわ」-ジェニファー・ロペス-

映画『セレナ』に出演してミュージシャンを演じたことで、音楽への情熱を掻き立てられて、女優だけでなく歌手もやろうとなった。


そして早速でもデモ制作を始め、その1本が当時ソニーミュージック社長だったトミー・モトーラの手に渡り、彼に気に入らてデビューへのきっかけを掴む。トミー氏といえば、マライア・キャリーを発掘したことでも知られており、当初、ジェニファーが作ったデモはスペイン語の曲だったが、「君は英語で歌ったほうがいい。そういう大きなマーケットを目指したほうがいい」と勧められて、英語で曲作りをすることになる。


そして1999年、ジェニファー・ロペスは、ついにシンガーとしてデビューを果たす。デビューアルバム『オン・ザ・シックス』。当時、りっキー・マーティンやエンリケ・イグレシアスといったヒスパニック系シンガーが活躍し、全米にラテンブームが到来。ジェニファー・ロペスも、そんなブームの立役者としてシーンを席巻した。収録曲「イフ・ユー・ハド・マイ・ラヴ」は、全米シングルチャートで5週連続1位を記録する大ヒット曲となった。

If You Had My Love (イフ・ユー・ハド・マイ・ラヴ

プロデューサーには、デスティニーズ・チャイルズやメアリー・J・ブライジなどR&Bを中心に数多くのヒット作を手掛けてきたロドニー・ジャーキンス、そして当時の恋人ショーン・コムズ、さらに以後ジェニファー・ロペスのほとんどの作品に携わるコリー・ルーニーが参加した。


1stアルバムのタイトル『オン・ザ・シックス』の"シックス"というは、ニューヨークの地下鉄の路線で、マンハッタンとブロンクスを結んでおり、彼女が下積み時代にこの地下鉄を使って行き来をしていた。音楽的にもラテンポップの影響が非常に強く、これと同時に柱をなしているのが、ヒップホップ、R&B、一般的なポップミュージック、ソウルミュージック。そういった自分が暮らしていたニューヨークというマルチカルチュラルな街で聞き親しんだ音楽の全てを網羅したような非常に聞きやすいポップアルバムになっている。

結果、アルバムは現在に至るまでに800万枚以上を売り上げる大ヒット作品となった。

Waiting For Tonight (ウェイティング・フォー・トゥナイト)

収録曲「ウェイティング・フォー・トゥナイト」は、MTVビデオ・ミュージック・アウォードで最優秀ダンス・ビデオ賞を受賞。

シンガーとしてのデビュー作で、強烈な輝きを放ったジェニファー・ロペス。2000年には、グラミー賞授賞式のプレゼンターに選出され、そのセクシーなドレス姿が大きな話題に。歌って踊れて演技の出来るトリプルスレッドな女性として注目を集め、他に類を見ない人気を獲得したのであった。



頂点へ(2001年~2002年)


2001年、ジェニファー・ロペスは、自らのニックネームを冠した2ndアルバム『ジェイ・ロー』をリリースする。自ら製作総指揮を務めるなど、本作ではさらに積極的な姿勢を見せた。

Love Don't Cost a Thing (ラヴ・ドント・コスト・ア・シング)

このアルバムでは、ジャケットを見て分かるとおりストリート感が強まっており、実際サウンドも寄りアップビートにヒップホップ色が強くなっている。一つ影響として挙げられるのが当時交際していたショーン・コムズ。ファッション面でも音楽面でも影響を受けていた。

アルバム『ジェイ・ロー』は、全米チャートで初登場1位を獲得。ジェニファー・ロペスはついにミュージックシーンでも頂点に。


また、アルバムリリースと同じ週に公開されたジェニファー・ロペス主演の映画『ウエディング・プランナー』も興行収入で初登場1位を獲得。音楽と映画の両方が同時にチャート1位を記録した初めてのアーティストとなった。

Ain't It Funny (エイント・イット・ファニー)


そして翌年の2002年、ジェニファー・ロペスのリミックスアルバムがリリースされる。本作は、リミックスアルバムとしては史上初の全米アルバムチャート1位を獲得。ジェニファー・ロペスの勢いを物語る結果となった。

I'm Real (Murder Remix) ft. Ja Rule (アイム・リアル ft. ジャ・ルール)

収録曲は、過去2枚のアルバムのシングル曲を中心に、MCをフィーチャーしてリミックスしている。彼女はそもそもデビューシングルのときから、必ずリミックスをつくっていて、これでクラブシーンのDJたちにアピールを怠っていなかった。こういったやり方というのは、マライア・キャリーと同じやり方でもあって、そのあたりにもトミー・モトーラの戦略があったと思われる。

ラッパーのジャ・ルールをフィーチャーした収録曲「アイム・リアル」のリミックスバージョンが、全米シングルチャートで1位を獲得した。


さらにこの年、自身の香水ブランドを立ち上げ、『グロウ・バイ・ジェイロー』を発売。商業的に成功を収め、セレブリティによる独自ブランドのさきがけとなった。

何事にもバイタリティ溢れる活動でファンを魅了するジェニファー・ロペス。彼女の一挙手一投足に誰もが注目していた。

Alive (アライヴ)

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